2008년 8월 22일 금요일

1999 story (Japanese Version)

この手紙は、ダンハク(丹学、丹ワールド)でダンサという高い地位にいたチョンミョンジュという女性によって書かれたものです。この手紙には、1999年に辞職した彼女の、それまでダンハクの内部で経験した事実がそのまま書き記されています。「ススンニム」という用語は、丹ワールドの設立者であり、組織の内部で神様と崇拝される一指イスンホンを指す言葉です。丹学と脳呼吸を創始し、普及するイスンホンと丹ワールド(旧丹学禅院)内で行われる出来事です。


愛するサジェ(師弟)達へ、ソンファジャン(一指イスンホンからの格別な信頼と、彼女の団体における業績の象徴として、イスンホンによって与えられた号)チョンミョンジュです。

既に辞職願を出している私が、このような用語を使うのは不適切かもしれませんが、私達グループの中では親しみのある言葉ですし、自分が使い慣れた言葉でないと、皆さんに申し上げたいことが百パーセント伝えられないかもしれないと思ったので、今日一日だけ、このような用語を使うのをお許しください。今後、サジェ(師弟)やサヒョン(師兄)、ススンニム(師匠、精神的な指導者、案内者のこと)など、内部の用語は、公式的に使いません。

私に対して立腹している指導者の方もいると思いますが、もしそうだとしても、この内容だけは、天命を知ろうとし、理想人間一世界に向けて一緒に歩んできた、たくさんのサジェ達に、私はこのことを必ずお知らせしなければならないと判断したので、このような形でお伝えすることになったことに対して、皆さんのお許しを願います。
また、この手紙を先生にお見せするのではなく、インターネットに載せ、門中に辱をかかせることに対して、皆さんのご了解を願います。もし、この手紙をススンニムにお見せすることになったら、指導者の全員はこの手紙の内容を知らない場合も生じるでしょうし、また、「もうダンハクをご存じの方だけで10万人ぐらいだし、世間の考え方に合わせて、ダンハクについて捉え直してみることも必要だろう」という私の考えからでもあります。ネット上に手紙を載せるのがこんなに遅くなってしまった理由は、これまでの私の考え方からだと、(事態の)全てが私のせいで、私が負わないといけない個人的な問題だと判断したからです。しかし、今は、世間に堂々と発表できない道理は、理想人間一世界に向かう過程におけるその姿が全く見えないのだったら、その結果も一緒だと思います。
そして、丹学に関っている人が10万名もいたら、これはけっして個人的な問題として放置してはいけない気がするし、内部、特にススンニムを含めたダンハクの上層組織をあまりにも知らない指導者達が、ある一方の情報だけを信じ、何の判断能力なしに盲目的に行動したりすることも、きっとあるだろうと思いました。こうして私がダンハクの本当の姿を見るようになるまで、あまりにもたくさんの周囲の方たちの助けや努力があったし、自分の最小限の良心で、サジェ達に私が感じた真実を伝えることが、ダンハクにおける、サジェ達に対する私の最後の責任を果たすことだと考えたからです。

たくさんの方々が不思議に思います。天のように思っていたススンニムを裏切り、どうして私がダンハクから出て行ったのか、今でも私がススンニムを心から尊敬しているのか、まだダンハクを信じているのか、また一方では、私を保護するためにススンニムが私を辞めさせたという話もあるようです。
私はこれまで、専らススンニムへの信頼一つだけで働いてきましたし、ススンニムがなさる事は、すべて、理想人間一世界へ通ずる事、この事だけが希望であり、こうすることだけがこの民族とこの世の中を救うための最善の選択だと信じ、今日まで走ってきたのです。ダンハクの内部ではススンニムが最も中心的な存在でしたので、全てが当たり前のことだと思ってきました。
しかし、ススンニムがなさる事が、実は理想人間一世界とは程遠い、もう一つの権力と金を得るための事で、その結果、ダンハクは〈権力とお金から成る集団〉になるしかなかったということです。しかし、表では〈民族と人類のための団体〉を標榜しており、全指導者たちはそのことだけを信じて、それに命をかけています。
そのような答えを得るまで、私は本当につらい思いをしてきました。個人的にはススンニムにたくさんの愛や恩を受けてきたこと、またそれが自分の成長に役立ったことが私を苦しくさせました。このような事実は内部のことなので、ススンニムに先に申し上げて、内部から改革しないといけないのに、外部であばき出して、むしろ他の宗教団体などから悪く利用され、やっと起こりはじめた壇君(韓国の開国神)運動の動きまで妨げてしまうのではないか。
 また、関係のない人たちがこれを逆利用して利益を得ようとするのではないか。専ら一つの志を望んできたたくさんの指導者達、ダンハクの仕事に身を捧げてきたウォンサ(ダンハクの指導者の持つ一つの職位、自分の仕事を持っていながら、丹ワールドの仕事を手伝ってくれる人のこと)達が、似非宗教にハマった変な人たちのように認識されて、社会生活さえ難しくさせるのではないか。

また、その方たちが再び民族精神回復や壇君、弘益人間(広く人間社会に利益を与えるという韓国の伝統的な理念)理化世界(理を以て世を治めるという意)を言うのが自分自身をつらくさせ、絶望的な気持にさせるのではないか。

 今、自分自身が感じているように、道理や悟り、霊、この全てが自己満足であり、錯覚であると罵倒し、もう美しい世界を造るのは理想に過ぎないと諦めて、どうでもなれという態度で生きていきたくなる、そういう気持にさせるのではないか。

などの理由で、どうしたらいいか散々悩んだ末、最初は自分一人で辞めることに決めたこともありました。しかし、今は考えが変わりました。周りのたくさんの方々に待ってもらい、アドバイスをしていただきました。彼らは、私がたくさんのことを経験できるように守ってくれましたし、そのことで私が傷つかないように見守ってくれました。私は、彼らに丹学禅院(現 丹ワールド)が事件をどう解決していくかを直接見せてもらい、ススンニムやダンハクの真の姿を如実に見ることができましたが、このまま行ったら、ダンハクが本当に似非宗教になってしまうかもしれないという気がしてきました。

合う、間違うという判断は、私がするより、世間の判断に従うべきだと考えるようになりました。世間の人々は、意識のレベルが低く、間違った道を歩きがちなのでわれわれが教えてあげるべきだ、と指導者達の心の奥底にある選民思想は本当に間違っているということ、私がいわゆる世間のエリート層と言われるVIP(丹学禅院の基準像)を管理しながら、われわれは本当に見えない世界についてはあまりにも無知なのだ、人は本当に弱いものなのだ、たいしたことないのだ、と一方の部分だけを見て感じたこと、偏食をして、自分も知らないうちに、世間の人々の持つ大切なことの判断基準を忘れてしまいました。もう指導者生活を辞めて、いい方達の間で以前とは違うものを少しずつ感じている私としては申し訳ない限りですが、もう評価は世間の基準に任せてもいいと思えるようになりました。おかしい話ですが、この世の中は本当に広くて大きいのだということを通感します。是非をわきまえる以前に、全てのことは進化していくのみで、たくさんの人々がこの世の中を美しくするために努力しているということ、この一つのことだけは認めるべきであり、われわれはお互いに勉強しないといけないということ、十分そのようにできるということ、助け合い、励まし合い、同じ集団の中でも互いに学び合い、映し合いながら、それが世の中とかけ離れた閉鎖的なものではなく、開放的で明るいものでないといけないということ、溜まり水は必ず腐るということ、いかにも簡単で、当然な真理に今やっと気付くようになりました。それで、内部の指導者達が色々な情報を通じて自分で判断できる機会を与えることが、自分の最後の責任だと判断したので、私の知っている全てを知らせることを決心致しました。

今、この瞬間、自分が正しいと思ったことをしないなら、きっと、これからの私は自分を責めながら一人で苦しむことに違いありませんし、と同時に、心からダンハクの将来を考え、ダンハクを愛する気持から、この話を致します。これから記録するものは、日づけを除いた、私の記憶によるものです。私は普段、正確な年度と日にち、数字を覚えたりする習慣があまりないので、そのようなことを記録したら、むしろ嘘を書くことになってしまうかもしれないのでそれは省略いたします。そのような理由で、時間の順に記されておらず、最近のことが前に書かれて、それより前のことが後に書かれたりする点に関しても、ご了承いただければと存じます。

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私が、最初に名誉師範をしていた場所は、ソンアムジャンが名誉地院長だった、ソウルのある地院だった。ソンアムジャンが、ファルゴン(ファルゴンとは、ダンハク用語では、ひとつのメッセージを意味する)をやってくれるというので、横になった。ソンアムジャンは、ファルゴンをやってくれながら、服の上から私の身体の秘密な部分に触った。彼は、「ここに触ることは、顔に触ることと同じようなものだ。お前もその違いを意識しないがよい。それでこそ、性にかかっていないといえるのだ。ジョンサ以上は、男でも女でも、いつでもサジェが性にかかって要求してきたら、同寝してよい」と言った。その後、地院で私が疲れてちょっと横になっていたら、ある男の師範がキスしようとした。
 私は拒否した。その師範は私に詫びたが、「お前(ソンファジャン)の性的なエネルギーのせいだ」と言った。

その後、私が予備師範として行った地院のセンター長と師範が、今のアリジャンとク・デグン師範だった。

その時、ク・デグン師範は、ダンヨンジャン(女性)と付き合っていたが、ダンヨンジャンが妊娠して大変な時期だった。私は、どうしたら性的な偏見を乗り越えられるかが気になった。それで、禅院長のジュンサンジャンが訪れた時、それを聞いてみた。彼は、3年間のクムチョク(禁触)について話してくれた。

私の同期たちは、最初は8万ウォンをもらいながら、予備師範の生活をしていたが、それではお小遣いにもならなかったので、私たちはサヒョン(年上の指導者)達に、服や食べ物などの援助してもらっていた。私は、教育を受け、ウォンダン地院に行くことになった。そこでの私の実績はかなりよかったので、私たちの同期の中では、最も短期間で地院長となった。私はいつもお祈りをした。周りに会員がいない時は、声に出してぶつぶつと呟いていた。それが私の生の指標だった。

理想人間一世界のために殉教します。私を見えない基肥にしてください。私をススンニムの分身にしてください。

私は、そもそも、私個人の悟りや道理、霊的な世界には興味がなかった。私は、自分がどうするかによって、この世の中が美しくなることも、人の心を生かすこともできると強く信じていた。ここでの仕事をきちんとやれば、全てがかなうと思っていた。私は、最初に地院長になった頃、専ら、実績のことだけを考えていた。人の心はお金で確認できるものだし、人を生かすことが実績として表れるから、それでいいと思っていた。
うちの組織は、送金の多い順で、地院長の業績が評価されることになっていた。したがって、たくさんのお金を本部に送ることだけが私の目標だった。私は、食事をとる時間ももったいなかったので、ご飯に水をかけて食べた。お風呂に入る時間、スーパーに買い物に行く時間ももったいなくて、ほとんど外出をしなかった。トイレに行くときも、携帯を手に取ったままだったし、いつも非常状態だった。寝る前には、いつもお祈りをしたし、会員一人一人のことを思い浮かべながら祝福の祈りをした。そして想像をした。その時、チョンファウォン(韓国ヨンドンに設立された、ダンハクのヒーリングセンター)には工事が進行中で、私は会員一人一人が工事現場で危険なことが起こった時、私が命をかけて彼らを助けてあげる想像をした。私は、毎日午前4時に起きてトレーニングをし、お祈りをした。その祈りの内容は毎日同じだった。「(理想人間一世界のための)見えない基肥となって、ススンニムの分身として働かせてください。」実績は最高だったし、私はスターになった。全体のビジョンは、地院一〇〇個開設(ウォンサ達に銀行利息、または無利息で借用、あるいは誠金で開設)と、一地院当たりに一〇〇〇万ウォン以上送金(開設資金と支出を除いた純粋送金)だった。私は、次第に人がお金に見え始めた。それは、私を激しい内的葛藤へと追い詰めていった。

私はますますドライで乱暴な人になりかわっていった。抱えている師範達に悪口をたたいたり、殴ったりもした。私には、鉄人、冷血漢、毒種というイメージが付いて回った。体調は、悪化していく一方だったが、実績はますます良くなった。私の地院は2000万から3000万を本部に送金していたし、地院を出すため、ウォンサ達が何億ウォンも借用してくれる、ベスト地院となった。私は、会員たちにとっては天使のような存在だったし、希望でもあった。たくさんの人々が、私一人を見て寄り集まってきた。

私は、その人たちに理想人間一世界を知らせて、ススンニムとのつながりを作ってあげるのが自分の使命だと思った
私の体調は悪化していく一方だった。内部では、毒種という悪い評判がつきまわった。内部での評価基準は、第一が送金、二番目は、センターを出すためにお金を借りてくれる、ウォンサをたくさん輩出すること、三番目は、内部の指導者をたくさん輩出することだった。それで相対評価をした。その三つの基準が達成できたセンターのセンター長を、優先的に評価した。私はいつも最高の指導者だったし、スターだった。

私は、この全てのお金が、理想人間一世界のために必要なもので、組織の拡大は、即ち理想人間一世界の実現だと思ったので、どういう方法でも、達成さえすればよいと思った。しかし、私の体の調子は段々悪くなっていった。お金を設けるには、会員の心がつかめないといけない。私には会員達が求めるものが何であるかが分かっていた。それには、演出が必要だった。とても明るい姿だけを見せること、天使の姿だけを見せることだった。そして、会員との一定の距離を置くこと、もう一つは、毎日、朝4時にトレーニングをし、会員達のために祈ること。

私は、次第に寂しくなっていった。

私はダンハクの顔だったし、私が手がける、全てのことは、皆の見本となった。禅院では、私が演出して運営する規定が、全指導者達に教育されるようになった。私のセンターには、たくさんの師範達が私の教育を受けにきた。
 ススンニムは、私的な場でも公的な場でも、よく私を誉めてくださった。私の身体の調子は非常に悪かったが、私はそれが、自分の身体を乗り越えていく一つの過程だと思って、気にしないことにした。いつも、理想人間一世界のために殉教しますと祈った。寝るときも、会員カードを体から離さなかった。しかし、私と一緒に生活する師範達にとって、それは大変なことだった。自分の時間はほとんど無しで、24時間緊張しなければならず、会員さんのことばかり考えて、お金を稼ぐことだけを強要した。その過程で苦しくなるのは、各自の固定観念のせいだと思った。いや、私は本気でそう思った。
私は、自分のシナリオ通りに、回りの人々が自分を支えてくれることを願った。対外的に有名人になればなるほど、お金が儲かるということを、誰よりもよく知っていた私は、会員たちへの紹介文を自分で書いて、師範に頼んだりもした。こうした、私が会員管理に使った色んな方法は、指導者たち全員に公開された。私の会員管理の方法一つ一つ、祈り、センターの環境衛生のマニュアルに至るまで、全て、内部教育用の資料に使われた。

私と一緒に暮らしていた師範達は、そういう生活に長く耐えきれなかった。他の地院に配置されることを願うか、師範を辞めたがる人もいた。私の過ちを上司に告げたりもしたが、それは大した問題にはならなかった。むしろ、その人の方が精神力の弱さを叱責された。私の名前は、ダンハクの中では、ほとんど知らない人がなくなっていった。

私は、ススンニムの信任を得ていた。個別面談の時、ススンニムは私をご自身の分身だとおっしゃって抱擁してくださった。
そして、私はススンニムに胸を触られることがよくあった。
よく、お前はどうしてこんなに胸が小さいのって笑いながらおっしゃったりした。私は個人的に性について勉強させてくださるのだと思って感謝していた。しかし、段々つらくなっていった。私は、このことを誰にも話すことができなかった。私の行動と言葉はみんなのかがみだったし、また一方では、一度言い間違えたら、それが何倍も大きくなって自分に回ってくるので、言い出すことができなかった。

ススンニムからの褒め言葉は、自分の勉強法が正しいという話のようにも聞こえた。途中で脱落することはススンニムに迷惑をかけることだったし、私じしんも、こういう行き方をやめる自信がなかった。

しかし、本社で要求するお金は切りがなかった。100個以上のセンターの開設は、私たちにとっては、何があっても実現しないといけないビジョンだった。

もちろん、週末もなかったし、お盆など、伝統的な祝日にも指導者たち同士で過ごした。みんな、お正月やチュソク(日本のお盆のような韓国の伝統名節)に実家に帰らないのが普通となったし、本も、ススンニムの言葉をまとめたものしか読まなかった。ススンニムは、指導者たちの部屋に、ススンニムの言葉を整理したもの以外に、たくさんの本が置いてあるのを咎められた。そして、お正月やチュソクに実家に帰るなという指示が下った。私は、土日にある、指導者達の会の以外に遊んだりすると罪悪感を覚えた。私はススンニムの指示を最も充実に守った。すべての指導者たちが私のように行動しようとしたし、専らビジョンのために、いかにお金を稼げるかが会のメインテーマだった。いかに会員を成長させ、その会員に我々のビジョンのために必要なお金をたくさん出させ、禅院を開設するかが話題の全てだった。その他の話題を出す人は、みんなのやる気をなくさせる人、できない指導者とされ、厳しく非難された。

しかし、こちらで限りなくお金を要求するから、会員たちも段々減っていった。その当時は、お金を借用することだけがウォンサの仕事に回されていたので、一文化運動の限界を私は感じた。
私の身体はだんだん弱くなっていったし、私は耐えられないほど、寂しくなっていった。全指導者たちは実績で競争することになっていたので、彼らの間で、ひどくいがみあっていた。嫉妬、名誉心が澎湃とし、名望のある指導者たちの間では派閥争いが絶えなかった。

私は毎晩一人で泣きながら寝ることが多々あった。ススンニムは遠すぎたし、見習いたいサヒョンは一人もいなかった。サヒョン達は、専ら、ススンニムに認められること、それだけを求めていたので、サジェ達をうるさくつきまとって、実績を上げて自分たちのものにすることに汲々としていた。
 私は、そういうサヒョン達を見ていると吐き気がしそうだった。耐え忍ぶことが即ち悟りを得ることかといえば、それは違うという気がした。私の目には、サヒョン達が専ら辛抱することに必死になっている人達と、初めから諦めて、名望一つで、または話術で何とかやっていこうとする二つの部類にしか見えなかった。
 ただ一つ、ススンニムのお言葉なら、何でもやるという忠誠の心だけは凄かった。私は困惑していた。絶対、あの人達のようにはなるまい。絶対にそうはなるまい。毎日反芻して反芻した。私もこういう道に行ってはいけないのに、ますます空っぽになっていくだけなのに。。。私は次第に荒っぽい気性になっていった。一人になると、決まって師範達に悪口をたたいていた。私は苦しかった。こういう方向に行ってはダメだと喚きたかったけど、それは、いつも私を誉めてくださったススンニムに申し訳ないことだったし、それではどうすればいいかが分からなかった。私は一人で泣きながら寝る夜が前よりも多くなった。理想人間一世界が何なのか教えてくださいと祈りながら、泣いて寝た。しかし、私は以前と同じやり方で仕事をしていた。もうこれ以上、実績の面で私を追いつける人はいなかった。私はベスト地院長となった。私には‶毒種‶(性質が強情で口が汚い人を指して言う言葉)というニックネームが付いた。

私はイルサン(ソウルの北部の地名)センターを開き、その地院長となった。地院を開いた最初の月に6千万ウォンを送金し、会員数は100名を超えた。そして、地院の開設資金として1億を借りていた気がする。私は全指導者の授賞式での全体評価で、MVP地院長に選ばれた。ススンニムは、みんなの前で、私がご自分の分身だとおっしゃってくださった。私の祈り通りになったのだった。個別にススンニムがお呼びになり、もう一度、「お前は私の分身だ」とおっしゃった。「お前が誇らしい」ともおっしゃった。私には、これ以上希望がなかった。今の状態が私の祈りの果てなら、私は絶望だった。私は一人で辞めることを考えた。指導者達は、実績の競争にいがみ合ったり互いのことを中傷したりした。重要な会員が、指導者たちに責められないためには、自らが指導者となったり、財産を寄付したりするしかなかった。もう終わりが見えなくなっていた。いつも最高の緊張状態だった私は、次第に疲れていった。

しかし、次の年のビジョンは、また360個の地院開設と一文化家族1万名、各地院当りの送金1000万ウォン以上だった。彼らは、ダンハクの組織を拡大することによって、理想人間一世界を造らなければならないと言った。私は疑わしかった。自分は偽物だったし、もし一世界がダンハクの複写版に過ぎないのなら、むしろない方がましだと思ったが、それを口に出せば恩知らずの人になっちゃうし、また、自分はまだこの世の中をよく知らないと思ったので、そう話す自信がなかった。

ススンニムの恩を最もたくさん受けた人として、私は、どう辞めれば組織に害を与えないですむかを考えた。指導者達の間では、性的なトラブルが絶えなかった。ススンニムは、公式的な場で、3年間、肉体的な接触を禁ずるとおっしゃった。そして、それぞれの地域毎に集まって、ポルノグラフィーのビデオを一緒に見て、霊的トレーニングをして性的な気を払うようにとおっしゃった。強姦は絶対にダメで、会員との性的な関係を持つことを禁ずるとされた。

ある日、指導者の再教育のプログラムに行ったその日の夜、ちょっと息が詰まりそうだったので、車を持ってきた男のジョンサと、こっそり外に出て一杯した。帰りの車の中で、その人が私にキスしようとした。その時、私は極度に敏感な状態だったので、その状況が耐えられなく嫌だった。その数日後、私が面倒を見て師範にさせて、教育後には私の地院にスカウトしてきた、私が心から愛していた師範が、私を母だと思ってくれた師範が、私に反抗した。

私は、地院を出て地域長の地院で数日を過ごした。私は自分の過ちを知っていた。しかし上部は、その師範を下克上の罪で処罰しようとした。私は、他の地院にその師範を行かせてあげることを頼んだ。自分自身が耐えられなかったので、指導者に入る前に付き合っていた人が暴力団の人で、突然訪ねてきて困らせていると言った。それで休職しなければならないと言った。私は引き継ぎもせずに組織を出ることができた。勿論、それは嘘だったが、きっと皆が私を引きとめようとするだろうし、その間が耐えられそうになかった。

私は、本当につらかったので、しばらくの間も我慢できないと思った。私の給料は、最初月8万ウォンだったが、その頃は、おそらく月20万ウォンくらい貰っていたと思う。私は最初、センターで経理の業務もしていたが、その時間がとても勿体ないと思ったので、毎日はしなかった。それから、月末に清算をすると、いつもお金が足りなかった。それで、自分のクレジットカードで足りない金額を埋めたりしたので、借金が多かった。
後で、実績によるボーナスを何度かその月の給料に含めて貰ったりもしたが、その当時は、地院のパソコンを、本社で購入してくれなかったので、私は、自分のクレジットカードでそれを購入したので、借金が返せなかった。ウォンサ達から、一度ずつ、支援金として、ちょっとしたお金をもらったりもしたが、うちの組織のルールでは、そういうお金は全部本社に送らなければならず、個人的に使ってはいけないことになっていたので、私の借金は減らなかった。

私は休職願を出した。指導者になってからは一度も実家に帰らかったし、連絡も滅多に取らなかったので、休職後、実家に帰るのが何となく気まずかった。母親が再婚していたので、心配をかけたくなかったという理由もあった。当時、弟は軍隊にいたし、兄ともずいぶん前から連絡を取らなくなっていた。私はホテルの部屋で、1週間を何も食べず、外出もせずに、ずっと寝ながら過ごした。ぐっすり寝て、起きてみたら、気持がすっきりしていた。原点に戻って、勉強をやり直したい気持になった。

実際、他の選択肢はなかったので、今度は、食事をしながら三日を寝て、組織に復帰した。その人との関係は終わりましたと言って、他の地院に発令が出るまで、暫く休んだ。その期間中にアンクク地院のジョンサが内緒で結婚しようとする人と、モアク山に数日間、遊びに行った。

その当時、うちの組織では、公式的に結婚を認めなかったので、彼らは皆に内緒で結婚しようとしていた。その女性は元指導者だったが、職を辞めて、私がウォンダン地院長をやっていた頃に再び会員となって、結婚のことを私に話してくれたが、私が休んでいた頃に偶然、地下鉄でばったり会ったので、その足で一緒にモアク山に遊びに行ったのだった。結婚の日取りを決めたそうだった。私は、それを地域長のチョンヘジャンに報告した。地域長はススンニムに報告した。ススンニムは、私に電話をされた。

「結婚するのは、私を裏切ることだ。アメリカに渡って来い」との伝言を頼まれた。

私は、ススンニムご自身が直接、彼女にお電話をしていただけませんかと言った。そのジョンサは、ススンニムからお電話があったと言った。そして、私に、自分は結婚しないと言って、アメリカに行ってしまった。私は(ススンニムの)背信という言葉が、非常に耳に逆らう気がした。どうして結婚するかしないかの問題に、命令服従、不服従に背信という用語を使われるのかが気になった。もしかしたら、私が告げ口をしたのが間違っているのかもしれないと思った。

イルサン地院で、熱心に公的な仕事をしていた、女のウォンサさんが妊娠した。ボブヨンジャン(女性)に、赤ちゃんを産んだら仕事できないから、中絶するべきかそれとも産むべきかを聞いた。ボブヨンジャンは、命は大切だから生んでくださいと言った。そのウォンサの方は、地域長にまた聞いてみた。

チョンヘジャンはその件をススンニムに尋ねた。ススンニムは中絶しろとおっしゃった。ボブヨンジャンは、自分は納得がいかないと言った。しかし、数日後、ボブヨンジャンはススンニムのことばを筆写本で記録したものを読んで、ススンニムがそうおっしゃった理由が分かったと言った。私には理解できなかったが、その後も、祈りの文句は、そのまま「理想人間一世界のために殉教します。見えない基肥となって、ススンニムの分身として働かせてください」だった。

いや、一つ付け加えられた。偽物ではなく、純金にさせてください、と。その当時、水ばかり飲む女性(上丹田が開いた)について書いた単行本をうちの出版社で作った。ウォンサ達がその女性を訪ねたりして、有名になった。ススンニムはそういう人を作ろうとしていた。彼は、私をお呼びになった。

「お前を最高のスターにしてあげる。お前には、生まれつきのエネルギーがある。お前は独特だ。お前のエネルギーはお前の目を通して見える。100日間、地院でトレーニングをして、お肉は食べるな。そのトレーニングが終わったら、こちらから電話する。その後、私がトレーニングの成果をチェックして満足できたら、お前をセドナに呼ぶ」

そして、お前は歯が白くなるといいとおっしゃって、歯を白くしてくれる歯磨きをプレゼントされた。私には、自分がダンハクの商品になるということが分かっていたが、先ず、現在の実績へのプレッシャーから逃れたかった。それで、その提案がすごく嬉しかった。私は、セドナ旅行チームに入った。飛行機で、チンアムジャンがお金の入った封筒を渡して、忘れないようにねと言った。限界金額なので、各自が持っていて、アメリカに着いたら回収するから、忘れないようにねと言った。前回は、ある指導者が飛行機にお金を置いたまま、降りたことがあったという。チンアムジャンは、到着後、封筒を回収していった。

私は、それが外貨密搬出であることを知っていたが、アメリカを開拓するためには、当然だと思った。全てのことを法律通りにすれば、アメリカ開拓はできないと思ったし、そのようなことが問題になったら、ススンニムが刑務所にまで行かれることになるのに、そういう危険を感受してまで、こんなに頑張っていらっしゃるのが、むしろお気の毒に思えた。
私がなすり付けることができれば、必ず自分が責任を持ちたいと思った。とにかく、私はその後、アメリカに出張に行く度に、同じ方法で、チンアムジャンや一世界旅行社の職員にお金を集めてあげた。

しかし、今は考えが違う。ススンニムは、あまり急がれたため、便法を使われたのだと思う。方法は他にも十分あったのに便法で解決しようとしただけだと思う。本当にアメリカを開拓するには、適法ではないと無理だということ、私たちの枠だけで世界を変えるのは虚しい夢であり、そのような行為を指導者達にさせることで、私たちはいつの間にか政府が我々の敵であるかのように感じるようになった。それは、目的のためには、手段はどうでもいいと教えられるのと一緒だった。そして、私たちは、いつかは政府から理解してもらえないで、害を受けるだろうと思っていた。

それは、もし、私たちと一緒に住んでいた裏切り者が、政府にススンニムに関する情報を提供することがあるかもしれないと思ったからだった。
そういう考えを抱くようになったのは、私がダンサになったとき、ある会員が、外貨密搬出について私に強く抗議きてきたからであった。私は、もしかしたら自分が間違えた考えを持っているかもしれないと思って不安だった。なにより、ススンニムがあまりに急いでいらっしゃるのではないかと気にかかった。よい種を巻いておくより、ススンニムご自身の代に、ご自身がすぐに成果を得たいと思っていらっしゃるのではないかという気がした。
真心を込めて弟子を育てるよりは、結果を得るのに弟子を手段として活用しているという印象をいつも受けていた。しかし、また、〈チョンシ〉(神様によって叶えられる機会の時間を意味する)という言葉に惑わされた。

チョンシ、チョンシが迫ってきている。だから、こんなに急ぐのだ。分別心があっても、チョンシというのは悟った方だけが分かるものなので、私はこの大意に用いられること自体が幸福だと思ったし、そのまま辛抱して頑張って生活をした。
私は、自分が最も好きな、ダンジェジャン、アリジャンと一緒に、数日間を過ごした。二人の友情があまりに美しく思われたので、遠くで見ているだけだったけど、同じ空間にいることだけでも私は幸せだった。私は、理想人間一世界が何か本当に知りたいと聞いた。ダンジェジャンは、小学生が大学生の質問をすると答えが分からないとし、これまでは、前の目標だけを見て走ってきたから、ちょっと休んでから、トレーニングした方が良いかもしれないと言った。

アリジャンは無条件的に私を信じてくれた。私は本当にアリジャンが好きだった。ただ好きだった。私は、いつか必ずアリジャンと一緒に住みたいと思ったし、絶対そうしようと思った。私はススンニムと面談をした。ススンニムはダンジェジャンと同じことをおっしゃった。ダンジェジャンが報告をしたようだった。

数日間、休んでよく食べて運動しながら体力を補充した。21日間の霊的トレーニングをした。断食をしたけど、ずっと起きたままではなく、たまに寝たりもした。セドナのエネルギーがもともと良かった上に、私の、霊的なエネルギーを感得する能力は生まれつきだったので、数多くの気的・霊的な体験をすることができた。そして、たくさんの感覚が開かれた。しかし、一方でまた、真理はあまりにも単純なものだという気がした。このたくさんの体験を通して、私はこれまでよく知らなかった宇宙の情報を得ることができたが、結局、真理とはあまりにも簡単なものだということが分かった。私は、この体験が、実は悟りとは関係ないものだと思った。その考えは今でも変わらない。私はただ、霊的トレーニングの体験をしただけなのだ。自分が感じた真理を最も現実的な方法で実行できるように場を設けて下さった、ススンニムに感謝する。私は本当に幸せだったと思う。それまで自分が分別できることは胸に畳んで置いた。ススンニムは、試行錯誤をなさっているだけだ。現実世界におけるススンニムの経歴は、この世の中を現実的に救い出せるような大きな経歴ではなく、彼はただ試行錯誤をなさるだけなのだ。世間的に実力のある弟子たちを養成して差し上げたいと思った。そうなれば、全てのことが解決できると考えた。しかし、一つ、人を高貴でない、ただの消耗品として考えていらっしゃることだけは、ずっと気にかかったが、賢明な人は元々冷たいものだ、天は冷静だ、あまりにも大きい愛なので、人間的な感情ではそうでしか感じられないのだと思った。

ススンニムは初めて私を公式的な〈法弟子〉(教意の具現として認められた特別な弟子)に認可され、国内で、ススンニムご自身と、ビョクウンジャンを合わせた役割をしろと指示なさった。それから、断食院を運営し、薦度祭を皆がやるように活性化させることを命じられた。ウォンサ達に、これまでダンハク禅院を導いてきたことの中で、最も嬉しいことは、私が造られたことだとおっしゃった。ソンアムジャンは、全指導者たちの集まりで、全ての指導者が私にサムベ(三拝、三度挨拶すること)をするようにとススンニムが直接ご指示なさったと知らせてくれた。指導者たちは、みんな競い合うように私に来てサムベをした。会員達も、ススンニムに対して備える礼を、私にも同じく備えてくれた。

しばらく経って、ソンヤムジャンから電話があった。
「求心点が二つではダメだ。各個人からは三拝を受けてもいいが、10名以上、団体で集まった時は受けないようにして」

私はそれが嬉しかった。拝されるということが、どれだけ私を気重くさせたか知らない。私は手紙を書いた。「これからは誰からも三拝は受けません。21日間の霊的トレーニングを外部の人たちはみんな何も食べないで寝ないでするものだと思っています。事実通りに話したいです」
しかし、ススンニムは何もおっしゃらなかった。私はそれを、そうするなということと受け止めた。

薦度祭に参加する人数は段々増えていった。うまく行く時は、それだけで2億を超える時もあった。薦度祭は現金で貰った。銀行送金というやり方ではなく、現金で持ってくるようにした。秘書室で一月に二回それを貰っていった。そのお金は、アメリカのススンニムの研究費として使われるという。勤務する指導者たちは皆ダンハク禅院に辞職願を出し、大倧敎の所属として別に給料を払った。

チョンイルアムという名前をススンニムから授けられた。断食院の運営も順調に進んでいた。断食院に勤める全ての指導者はダンハク禅院の所属だったが、税金の問題で個人が事業者登録をしたので、禅院を辞職させて別に給料を払った。
うまく行く時は、月1億以上の収入をあげた。この収入は、唯一な禅院の不正資金になるそうだった。私はミルヤンに断食院をもう一つ開院させ、基本的な収入を現金でたくさんこしらえてススンニムに差し上げた。
しかし、私の一番の関心は、世間的に実力のある人たちを、ススンニムの弟子にすることだった。お金も、大きい金額でこしらえて差し上げたかった。私はいつも経済的に赤字だということだけ耳にしていたし、あまりにお金に追い回されることばかり経験してきたので、お金の問題なら、もううんざりだった。もしかしたら、この世の中のお金を全部私たちが自由に使えるようになってはじめて、お金のことで悩まなくてすむかもしれないという気がするくらいだった。
なぜなら、理想人間一世界のためのお金だから、この世の中が、理想人間一世界になるまでは、お金が限りもなく必要になるだろうから。
私は、若いサジェ達にお金のことでプレッシャーをかけたくなかった。サジェ達に人を金に見ないで本当に愛しなさいと言ってあげたかった。しかし、上からプレッシャーを与えられたらそうなるしかないということを自分の経験から知っていたので、その話は事実、門中を離れなさいということと一緒だった。

私は、本当にサジェ達にお金に喘いでほしくなかった。しかし、表では、私も常にお金のことを口にしていた。それが私をつらくさせたし、(組織について)疑いを抱かせた。

もう一つの理由は、ススンニムの近くに有能な方がたくさんいてほしかったということだった。この二つの理由で、私はVIPの管理を始め、その方たちのためのたくさんのトレーニングプログラムを作った。
私が直接指導した。その方たちはススンニムに紹介されて、私たちの団体の重要な部分を手伝ってくださった。また、私もその方たちから沢山のことを学んだ。

先ず、その方たちが指摘されたのは、第一点目、ダンハクの内部指導者達が可哀そうだということ。この団体は、若い指導者たちの熱情と愛で支えられているだけだ。内部指導者たちのための、いろんな福祉、(世間的に役に立つ)教育などが優先されなければならない。

第二点目、この組織が政治的な方に傾いていくのではないか疑わしい。宗教団体の形に方向を転換するのもいいかもしれない。政治の方面には、絶対に関心を持たないでほしい。純粋に行ってほしい。

第三点目、ススンニムがこの世の中との取引に慣れていらっしゃらず、ちょっと焦ていらっしゃること。この部分は、その方たちがプライベートで私たちの団体を評価しながら、私にしてくれた中で、共通する点だった。
キム・ジハ先生も、私が直接指導した方だった。私は自分なりに整理をしてみた。デウォンジャンは、内部指導者達の福祉と教育などに興味があって、そういう方に向けさせるために努力していた。私はデウォンジャンを支えて上げたいと思った。デウォンジャンは、私たち門中の仕事を処理しながら、私にたくさんの意見を聞いて来られた。私はデウォンジャンの方針が正しいと思ったし(今でもその時に処理したことは本当に良かったと思う。その点はデウォンジャンに感謝する)デウォンジャンが望まれるとおり、ススンニムに直言をして、彼の決定をひるがえて差し上げたりもした。

第二点目に関しては、ススンニムに直接うかがってみた。たくさんの人々が、私たちが政治に関心があるのではないかと思っている。ススンニムは公式的に否定された。

「私は政治に関心がない。しかし、たくさんの政治人を育てて、彼らが正しい政治をするように育成したい。どうせ、政治を動かせないとこの世の中は変わらない。しかし、自分はそういう仕事に直接は関与したくない。たくさんの人たちを育てるつもりだ」と何度も強調しておっしゃった。
第三点目は、本当にススンニムが信じて仕事を任せることのできる、有能な人を弟子にして差し上げればいいと思った。私は祈りの文句を変えた。保護する神明をチョンモニム(私たち人々のために生き、亡くなられた人物)に変えた。率直に言って、私は悟りを得ることへの個人的な興味はなかった。私の決めた使命を完遂するために、神明でも保護霊でも、自分が活用すればよかった。チョンモニムの神明は人たちもそんなにたくさん活用していないし、修行を通して悟りを得た方だし、この民族を本当に愛する方だった。私が欲張らず、純粋に民族を考え、人々を考えるならば、私に大きな力になってくださる大きな方だった。ススンニムも薦められた神明でいらっしゃった。

「チョンモニム、ソンファジャンです。理想人間一世界のために殉教します。どうぞ自分が知って犯した罪と知らずに犯した罪を全て許してくださり、この民族と人類の魂を解寃させる使命を完遂できるように助けてください。そして、ススンニムの周りに有能で信頼できる弟子たちを集めさせ、望まれることが叶えるようにしてください」毎日お祈りし、トレーニングをした。そうしたら、願ったことが全て順調に進んでいった。私が望んだたくさんの方たちが弟子に入ったし、また、周囲からもたくさんの方たちが純粋に私たちの仕事を積極的に手伝ってくださった。キム・ジハ先生もうちの仕事を受け持ってくださることになった。

しかし、私はススンニムその人に対して、表に出して言えなかったけれど、少しずつ疑いを抱きはじめていた。

第一点目は、性的な問題だった。全ての悟った人(文脈の中ではススンニム)は性問題を挙論した。そして、それを直接、教え子たちに教育なさったと知っていた。私は、これまであった、たくさんの噂をはねつけた。そして待った。そうした勉強を経験した人たちの成長した結果を待ったし、私が最も愛するアリジャン(アリジャンは私のことをこんなに愛していない。これは私の一方的な感情である)の結果を見ようと思った。その結果で、これが性の勉強かセクハラなのかを決定するべきだと思った。
それから一つの事件があって、これは絶対ススンニムが間違っているのだと判断した。私が直接扱っていた件は、シン・ミジョンジョンサの件だった。シンジョンサは、他の指導者と一緒に私を信頼してくれた。私も個人的には彼女を愛している。今でも。これもまた一方的な感情ではあるが。彼女が私に面談を要請してきた。ソウルで会ったけど、私にいろいろなアドバイスをしてくれた。

「ジュンサンジャンとうまく行けばいいね。事業にあまり集中せずに、会員達、指導者を助けることを重点的にやってほしい。私が管理するVIP達がススンニムと繋がりを持たず、私と個人的につながっているのは間違いだ」
と、シンジョンサは言った。私は、最後の部分は事実と違うと説明し、その他はそのまま受け入れた。私の問題点だった。そして、彼女は、それまで本人の生活してきた話をした。

「ススンニムが広報チームの状況を報告しろと指示なさった。それは仕事をしろということではないので、私は仕事を見習おうとは思っていない。仕事する雰囲気を作っている。定期的に報告している。雰囲気がだいぶ良くなっている」

昨日は私とチンミョンジャンとノ・キョンミンと三人で性的な関係を持った。互いに解寃し、一緒に泣き、心からススンニムにお祈りを捧げることができた。…そのように解寃できた指導者達には専らビジョンだけが残り、ススンニムだけを考えるようになる。…最近は思う存分寝られるといいなと思っている。…3地域長のジョンサに後で電話してって言った。3地域長は笑いながら恐いと言った。私たちの名前は寄生組織だ…」

私は状況がだいたい想像できた。ススンニムに報告したのって聞いた。彼女は報告したと言い、その内容を私に見せてくれた。内容が抽象的で、詳細は多分ご存じでないだろうと思った。答えはなさったのと聞いたら、何の返答もなかったと言った。私は、率直にいって、それまでどうやって性を勉強していいか分からなかった。それで、賛成も反対もせず、一所懸命に話を聞いていた。いや、実は、心の中で肯定していた。「あ、そうやって性の勉強をすればいいのだ」
ススンニムが韓国にいらっしゃった時に、私は二つのことを聞いてみた。
「指導者たちが私を指して血も涙もない冷血漢だと言っています。専らビズネスに熱中している私がこのようなやり方で進めていってもよろしいでしょうか?」
「そうだ。お前はそう行くべきだ。私はお前が毒種で全体を考えながらも冷静である点が好きだ。このままでいい」
「シン・ミジョンジョンサがこうやって性の勉強をしています。そうして、ススンニムとライン化させています。そうするのが正しいのですか?」
「毎晩をそうしているってことか?」
「そうみたいです。だからあんなに痩せっぽちなのでしょう」
「性の勉強は、そうしてできるものではない。私もいろいろな方法でやってみたけど、そうしてできるものじゃない。だから、昔からへその下のことは話すものではないと言った。しかし、組織に害を与えたわけではないから、伏せて置こう」
「たくさんの指導者達が性にかかっていて、間違ったことを本当だと思っています。ススンニムが一度全体的に整理なさるべきだと思います。自分も彼女の話を熱心に聞いておりましたので、このことに自分も賛成しているのだと思っているのかもしれません」

チョンファウォンに、または各地域に女子一人、男子一人を置き、部屋を作って一週間に一度特別ファルゴンの日を決めてその人たちに申請したら、その日はただ特別ファルゴンとしてその人と一緒に寝られるということにしておけば、問題が解決できるのではないだろうか。
お前が責任持って推進してみなさい。お前も性にかかっているのではないか?

とおっしゃりながら、胸と身体の大切な部分を服の上から触られた。私はできませんと申し上げた。数日後、イコンホジョンサが面談を要請してきた。

「性の勉強をどうやればいいか。僕はノ・キョンミン師範と付き合ったけど、最近は本当に指導者を辞めたい。ノ・キョンミン師範はシン・ミジョンジョンサに言われた通りにやっているようだけど、彼女はたくさんの他の男とも寝ることで、霊と魂の分離、その他のビジョンに整理をしているようだ。僕が執着を持っているのがダメだと言われたけど、全く気が狂ってしまいそうだ。夜、車に乗ってハンガンに行って、俺が執着を持っているとして大騒ぎだった。俺に他の女と寝てくれと言うのだけど、どうしたらいいか分からない」

私はススンニムがおっしゃった内容をそのまま伝えた。
数日後、デウォンジャンから連絡があった。
「金ジェウォン副会長から電話があったが、シン・ミジョンは気が狂っているに違いないという。他の人たちも彼女に神気が入ったといって大騒ぎだ。その噂が本当かどうか確認してくれ。ナム・ソヒョン師範を呼んで話を聞いてみるがいい」


私はその夜、ナム・ソヒョン師範をチョンファウォンに呼んだ。彼女は賢い人だった。うちの組織は、いつもサイドに呼んで内密で調査するのが問題だと言った。私は悪いと言った。だけど、この件は公式的に当事者を呼んで調査するのが難しい。話してくれと言った。

広報チームに入った時、二日連続で男子の師範達が入ってきた。私は嫌だと言って帰らせた。そうしたら、ある日、シン・ミジョンジョンサから電話があった。私より弱い人を送ってごめんなさいって。私は、明日ススンニムがチョンファウォンにいらっしゃるから、直接来て詳細を話してもらおうと言った。私はデウォンジャンに電話で報告した。シン・ミジョンジョンサをアメリカに送らなければと言った。ススンニムに彼女が直接報告するようにすることでしか、この問題は解決できませんと話した。デウォンジャンは、そうしてくださいと言った。
ジュンアムジャンに、明日、ススンニムがいらっしゃったら、シン・ミジョンの件について詳しくご報告しなければと、そのためにナム・ソヒョン師範を控えさせると言った。そして、キム・ジェウォン副会長に、ススンニムが直接お電話をしてくださった方がよろしいと申し上げた。ススンニムは、済州島からチョンファウォンにいらっしゃった。オクアムジャンが二瞼を作る手術をしたのがお気に触られたようだった。弟子たちが、いつも自分たちの身体と心は、全てススンニムのものだと言うのは、口だけなようなとおっしゃった。二瞼の手術も、許諾なしで勝手にやったと何度もおっしゃった。ナム・ソヒョン師範といろいろお話をされた。

ナム・ソヒョン師範は、本人の生活についても話した。彼女本人が管理するVIPと一緒に寝たみたいだった。ススンニムは、何度も寝たのかとお聞きになった。何度も寝たし、本人が分かるようになるまで、隣で守ってあげることになっているという。一日に一回は必ず電話していると言った。その方は、うちの団体を本当に熱心に手伝ってくださる方の一人だったし、私を通して入会された方だった。

ススンニムは、お前の身体と心はご自身のものだから、これからは恋愛をする時もご自身の許諾を得ること、そして、広報チームの長をしろとおっしゃった。ススンニムは、シン・ミジョンジョンサをお呼びになった。私が一人残ったときに、こうおっしゃった。「ソンジェジャンもそう管理されたのではないかい?」ソンジェジャンはうちの団体に20億を借りてくれることになっていて、定期的にかなりの金額を寄付してくれている方だった。シン・ミジョンジョンサが管理していた。私は、おそらくそうでしょうと言った。

ススンニムは「ナム・ソヒョンは、金○○次長を連れてきた業績があるから、広報チーム長をさせてもよい。誰かと付き合うにはそれ位のレベルの人と付き合わなくちゃ。その人、もともとあんなに従順な人ではないのに、きっと何かがあると思った。シン・ミジョンはソンジェジャンだけ管理するようにしないと。それだけでも大変だと思う」

私は、自分の心がこっぱみじんに砕ける気がした。この方は一体どういう方なのか。本当に私たちを人間と見ているのだろうか。朝、シン・ミジョンジョンサと二人で会った。彼女は、ずっと泣いていた。
私は、本当に気が狂ってしまいそうだった。シン・ミジョンジョンサは携帯の789番のボタンがスムースに押せるようになったと喜んでいた。もう大丈夫と言いながら喜んでいた。ススンニムとの気の紐が繋がると、その番号がスムースに押せるけど、繋がらない時は、スムースに押せなくなるらしい。告げ口をした人たちに対して、自分はその人たちに害を与えたことなんかないのに、どうしてそんなに自分が嫌いなのか分からないと言った。私は、ススンニムから漢方薬を作ってあげなさいと言われたと嘘をついて、一緒に漢方薬を作ってもらいに行こうと言った。私は、一人でトイレに行って、大きい声でわあわあ泣いた。

シン・ミジョンジョンサの場合は、一つのことだけを見て突っ走る人、寝ないで食べないで専ら一つのことだけを見て走る人、霊的にすごく敏感な人が落ちやすい状態だった。私の経験から判断すれば、こういう場合だと、ちゃんと栄養を取りながらゆっくり休めば、正常に戻る。できるだけ、十分な時間を持って休めば、自分を振り返ってみることができるし、こういう場合をうまく乗り越えたら、一段階レベルアップすることもできたはずだ。こういう場合は、英特で、いろいろな面で優れている人が起こしやすいことだったので、私は、彼女に期待をかけていた。私は彼女を一か月間ゆっくり休ませたかった。

うちの門中は、噂が広まるのが早く、噂が誇張されやすいので、本人のためにも、アメリカで活動してほしかった。しかし、ススンニムは、弟子一人一人に対して、さほど関心をお持ちでないようだった。それよりも、その人の実績が必要なだけだったと思う。ススンニムは、シン・ミジョンよりもソンジェジャンが重要だと思っているようだった。ススンニムは、性を勉強して昇華させる次元ではなく、もしかしたら、ただ、一つのビジョンを成し遂げるための道具として考えているのかもしれないという気がした。私はつらかった。その頃からは、地院長になりたいということをよく口にしていた。このままもう少し行けば、ススンニムを裏切るかもしれないと思った。ススンニムと離れて、遠くから、弘益人間、理化世界の志だけを眺めていたかった。

そして、この件はまだ完了していないと思った。ススンニムは、全体に対しておっしゃったお言葉の中で、「できれば3年禁触した方が良いが、公式的に結婚を許容し、これからは性の問題に関しては、感情的に、率直に良ければ良いと言えばよく、性の勉強をしていると勘違いするな。特に、私の名前を売って性の勉強をするとは言うな」とおっしゃったが、私はうちのサジェ達がどう考えるか知っていた。ススンニムのお言葉をそのまま受け入れず、自己類で解釈してしまう問題があった。一部の指導者たちは、ススンニムは、この世の中にうちの組織があるから、意識レベルの低い世間の人々は、真理が理解できないので、組織維持のためにそういうふうにおっしゃるのだと言った。しかし、実際の勉強はそうじゃないと皆考えて、内々でそういうやり方が広まっていくということを、私は知っていた。私は、自分なりに心配になる指導者たちに会ったりした。チョ・テイム師範に会った。

「テジュクジャンから、イ・オサンジョンサと寝たらどうって勧められたけど、私はイジョンサとは、絶対に寝る気がしなかった。それで、偶然、初恋の人と地下鉄で会ったことをテジュクジャンに話したら、その人と寝たらと言われた。その人に誘ったら、びっくりして去って行った。テジュクジャンに失敗したと電話したら、家で103拝をしていた。その人が酔っ払って電話してきて、初めて自分の奥さんを何かの理由で殴ったけど、奥さんと離婚するから、一緒に住んでくれと言われた。テジュクジャンにそれを話したら、一緒に寝るだけならいいのではないかって。あとはその人の持ち分だから、心配する必要はないと言った。本当にそうしてもいいのか?

私は、絶対にいけませんと言った。もう一度、性の勉強はそうするのではなくて、執着はそうすることで絶たれるものではないと言った。チンミョンジャンに会った。

「幼稚園のTFTチームを担当する時、うまく行かない理由は、ドサンジャンと私が解寃しないからできることだと言われた。違うと思ったけど、みんなそう言うから、一度寝ることで解決できるのだったら、そうするのも悪くないと思ったのだ。ススンニムにも申し訳なかったし、今考えてみると、なんでそういう考えを持っていたのか分からない。最初から私が持っていた原理が正しかった…」

性の問題がどこまで広まっているか、そのことと関係のない師範達に会ってみた。先ず、朴師範(3)に会ってみた。
軍隊に師範として勤務していた頃、特別にトレーニングを受けにきたジョンサが、私(朴師範)に、
「ダンハクの指導者はみんな性にかかっている。お前もそうなのではないのか?かかっていないなら、今夜こちらに来い」と言った。私は自分が性にかかっていると思いたくなかったので、その人と一緒に寝た。朝、見送るのに、涙が出た。これは違うということに気付いた。今度からはこのようなことは絶対にしないつもりだ」
と朴師範は私に言った。本社のジョンヨンジュ師範に会った。ジョンヨンジュ師範は、

「私がつらいと言ったら、ウォルヤジャンが旦那ではない人と浮気をしてみたらと言った。私は、それは違うと思う…」

私はもう一度、一人でじっくり考えを整理してみた。私が知っている、ススンニムが直接性関係を持った人たちをもう一度じっくり思い出してみた。

1.韓○○ウォンサ

「処女だったのだけど、一度性を超えたかった。ススンニムもそれを感じられたようだった。それで一緒に寝た…」
韓○○ウォンサは一時アメリカに行きたがっていた。その時、ススンニムは、韓○○はぶりっこだから、来たら、ススンニムご自身が気を遣わねばならないとおっしゃった。私もそれに共感した。韓○○ウォンサは、いつもこちらが気を遣ってあげないといけない人だったので、一緒に生活するのも手に余った。今、彼女はダンハクを離れている。

2.ダンジェジャンが辞めてから、ススンニムが私をアメリカに呼ばれたことがあった。その時、車○○ジョンサの状況をチェックして報告しろとおっしゃった。私はアリジャンに聞いてみた。アリジャンは、
「車○○ジョンサが初めて(彼女にとっての初めての性体験)ススンニムと関係をし、お腹に子供ができたらしいけど中絶した。ひどく苦しんでいるのを、ダンジェジャンが横で面倒を見てあげたのだけれど、ダンジェジャンが辞めてからは、前よりもいっそう苦しんでいる。立ち直れないかも。もしかしたら、あの性格で、韓国に行って死のうとするかもしれない」
と話してくれた。私はそのまま報告した。ススンニムは「私は妻と子供も全部捨てたのに…」とおっしゃった。私は、他の指導者と相談した時に、車○○ジョンサが悪く言われているのを聞いた。あの人は、ソウル大学を出た人だった。才能がないわけではないと思われたので、それは、本当に本人がつらい思いをしているということだった。ススンニムが、ダンジェジャンの件の後、アリジャンも出ようとしているとおっしゃって、チェックしてみろと指示なさった。私はアリジャンが好きだったので、それを口実にして遊びに行こうと誘った。私たちは、ベルラク(Bell Rock)の頂上で、夜を更かしながら話した。
アリジャンの話は驚くべきだった。
「ススンニムが性関係を持たれたのが全て性の勉強のためだったのですかと伺ったら、ご自身が浄化するためにやったのもあるとおっしゃって、あまりにショックだった…」
「ダンジェジャンから、セックスしている間は、師匠と弟子という関係は何の意味もない、男と女として反応すればいいと言われたので、一度そうやってみた…」
「ジョンソンファ次長は、まるで自分がススンニムの愛人であるかのように行動している。びっくりした。そのせいで、奥様はジョンソンファ次長が大嫌いなようだ。私が再びアメリカに来たのも、奥様が、ジョン次長のことが大嫌いという事情もあった…」
「朴師範(1)が、彼女の大切なところが匂うというので聞いてみたら、ススンニムと初体験をしたそうだ。同じ家に住んでいながら全然知らなかった。最近はススンニムから呼ばれるのではないかと心配して早めに床についているみたい…」

「朴師範(2)はマイケルと愛人関係だ。奥様に、ススンニムにお仕えしながらどうして他の人と付き合えるのって言われて気持悪かった。奥様は勘違いしているみたいだ…」

「テアムジャンが私組織を作っているという話がある…」

「ススンニムが○○○師範と一緒にお休みになった。テアムジャンから電話があった。いったいどうされたのかと…」

「ヨンジダンサは相変わらずだ。旦那さんがダンジェジャンに、彼女は寝る時もススンニムの写真を見ていると愚痴っていた。彼女も一所懸命尽くすのだね。旦那と寝る時は、彼に集中しないといけないのに…」

「私はもう自分の身体を投げ捨ててしまいたい…」

私の感じでは、アリジャンはもう回復不可能な状態に近かった。

朴師範(1)は、指導者を辞めた。ススンニムはアリジャンに、以前よりも高いポストと、より重い責任を要求する仕事を与えられた。アリジャンは新しくやってみようと頑張っていた。

3.シアッチャンが言った。
「ススンニムと二人きりでいる時に、彼が私にどうしたかは誰にも話していない」

4.自分の場合を考えてみた。チョンファウォンにいらっしゃった時に、夜明け頃に呼ばれて行ったら、隣に寝かせて服の中に手を入れ、私の身体の大切な部分に触られた。私は緊張した。彼は、何もおっしゃらずにその行動をやめ、ファルゴンをやって下さった。その時は、とても気持がよくなかった。

私は考えた。まだ途中なのかもしれない。どうせ、性というものは根本エレルギーなので、理解しにくいのだ。この人たちは、未だ勉強中なのかもしれず、ススンニムは、この人たちが自分で勉強することを待っているのかもしれない。最も冷静に。ある人々は、こういう経験を通して意識が広がり、生活の中で安らぎを得たり自由を感じたりするのかもしれない。もうちょっと待ってみよう。いや、そう信じたかった。その他の、内部の指導者たちの間における性問題などは、デウォンジャンの強い意志で、人事政策を通して何とか正常に戻りつつある気がした。それで、しばらく自分の心の中で保留しておくことにした。

しかし、今は事情が違う。私が辞職願を出す二か月前に、アリジャンは、メールで体を脱ぎたいと書いていた。北京でススンニムと単独で面談する時、ススンニムはアリジャンが三日間も音信不通だったと、あんなに無責任なやつは初めてだと悪口をたたかれた。不器用なやつをどう処理すればいいかを悩んでいらっしゃった。アリジャンを、必ず韓国に送ってくださると約束された。

私は、ススンニムが、弟子たちを道具にしか思っていないと判断した。私たちは彼の目的のための道具に過ぎない。ススンニムには、彼の望み通り、私たちそれぞれの役割をうまく果たせば、それでよいのであって、そうでなければ、あとは、全てがその人自身の持ち分であって、捨てればそれでいいもの、ただ、私たちはススンニムにとっての〈物〉に過ぎないという気がした。私はアリジャンと電話で話した。アリジャンは韓国に来から、私に負担がかかるのが心配だと言った。私は、早く来れば来るほどいいと答えた。私は、アリジャンと一緒に住むのが夢だった。もちろん、アリジャンは相変わらず、専らススンニムだけを信じて彼の意に従う立派な弟子だった。そのような判断を下すようになった理由は、ススンニムが、キム・ジハ先生に対して詳しく知り、彼についての情報を得るため、シン・ミジョンジョンサに電話したのだった。

「ソンファジャンが、ナム・ソヒョン師範を呼んできて、お前をバカにした。それなのにお前は、ソンファジャンの肩を持ってあげているのではないか…」

シン・ミジョンは、ススンニムが姉妹間(ミジョンと私)の喧嘩をけしかけたのは、お間違いでいらっしゃるけれど、本人があれほど私を慕ったのに、直接そうしないでほしいと言ってくれていたら、絶対そうはしなかったはずなのに、どうして、ススンニムに告げ口をしたのかと気にしていた。私はいろいろな言い訳をしたけれど、今は話したい。「ごめんね。もちろん、本人に話したら、直ぐにやめてくれたと思うけど、本人は、他の人々に対しては違う理由をあげていたと思うし、人々は、そういうふうに性行為をすること自体が間違っているとは思わないだろうし、その行為は、知らないうちにどんどん広がっていくだろう。シン・ミジョンジョンサは、ソンジェジャンの実績があるから、いっそう堂々とできたと思う。

それで、シン・ミジョンジョンサが間違ったと、ススンニムがみんなの前で公表なさる必要を感じたのだ。今でも、その件に関しては、そうして良かったと思う。

その後、シン・ミジョンジョンサがアメリカでしばらく休んでいた頃、ススンニムはシン・ミジョンジョンサに3年間の禁触を命じられたそうだ。私には、それが、単に一時的に事態を解決するという次元の対策としか思えなかった。性は、必要に合わせて利用したり、歪曲されてはいけないものだと思う。性そのものが美しいもの、貴いものとして尊重されるべきだと思う。たくさんの人々が心の奥に傷を持っている。その傷は、そのまま、ただ胸に埋もれているだけなのだ。それはお互いの気のせいかもしれないけれど、私は知っている。私たちは兄弟だった。これまでは言えなかったけれど、もうはっきりと言える。これは〈勉強〉ではない、ということを。

ススンニムは、性的エネルギーを、組織を管理する一つの道具に用いているだけなのだ。勉強をさせるため、性的エネルギーを昇華させるため、努力なさったわけではなかった。これはきっと間違っていることなのだ。

次に私が懐疑を抱くようになったのは、ススンニムは、金のことなら、家族以外には誰も信じて下さらないという点だった。

チョンファウォンにお出でになられた時、全ての土地の名義はススンニムのお名前にしなければならなかった。やむを得ない場合は、弟子の名前で買う時もあったけど、そういう場合は、何かを書いて本社に出さなければならない。ダアムジャンは、その点に不満を持った。ある日、報告をしたら、ススンニムが、これは一番広い土地なのに、どうして名義人がジュンアムジャンになっているのかと聞かれた。すぐ、ジュンアムジャンが呼ばれていった。ジュンアムジャンは、顔色がすっかり変わって、急にジスジャンを呼んだ。

チョンイルアムも、天地人商事の名義にするようにとおっしゃった。天地人商事は、ススンニムの弟さんの名義になっているらしかった。アメリカのCGIも、それを作るため、指導者は、ヴォルテックス会費(Vortex Membership Due)を、セドナの土地購入の後も無理に徴収したが、それは色々な問題の原因となった。

ヴォルテックス会費(特別生涯会費2000万ウォン)は、指導者たちの血と涙の結果だった。完成後、奥様が社長に就任され、名義も奥様のお名前にした。ススンニムはその後、ホテルを建てるということで、奥様に何の相談もなしに土地を購入されたりして、それを知った国内外の指導者たちは、口に出しては言えなかったけど、本当にガッカリした。ススンニムは、それまで弟子達に裏切られたことが多くて、弟子を信じられないとおっしゃった。しかし、その点は納得が行かなかった。裏切られても信じてあげて、また信じてあげるべきではないだろうか。なぜなら、弟子達は、家も売り、家族も捨て、良い職場を失ってまで、その5分の1もしない給料で暮らしていく人たちばかりなのに、そういう人たちを信じてあげられないのだったら、果たして、一世界が実現できるのだろうか。あまりにも疑わしかった。
私は、お金を設ける目的でうちの組織に入ってくる人はいないと思う。今の考えは少し違う。お金を見たら、私心も生じるだろうという気もする。それから、この世の中と取引をする時は、人をあまりに信じてはいけないという気もする。
しかし、とにかく、こういうやり方を通しての組織拡大では、理想人間一世界は実現不可能ということだけは明白だった。こういうこともあった。元経理部長で、辞めた人だけど、セドナに一緒に入って、ススンニムと経理部長と私の三人で面談をした。その人は、専門的な用語を使ったけど、大体こういう話だった。

「どうして弟子たちではなく、親戚の名義だけで不動産の取引をするのですか?こうしてはいけません。株式もこういう方法ではダメです。彼らの福祉の保証のためにも、指導者たちが株を所有できるようにしてあげなければなりません…」

ススンニムは、もし良い方法があれば、ジュンアムジャンと相談しなさいとおっしゃった。良い方法があれば従うということだったが、ジュンアムジャンと私には、問題が生じないように、その人をしっかり管理しろと指示なさった。最近、デウォンジャンはその人が帳簿を全部持ってお金を要求してきたので、ジュンサンジャンがその人の処理に困って、うちの系列社のうちの一つにその人を再び就職させたことがあったという。ススンニムは、ご自身が裏切られたことがあまりに多いので、こうするしかないとして、絶対に彼ご自身のために使うわけではないとおっしゃった。

私は、サジェ達を考えると心が痛かくなってくる。実績に追われた末、お金を貰ってもいないのに帳簿に付けて、その人がお金を払わないと自分の給料で埋めたり、カードローンを使ったりするが、その金額があまり大き過ぎるようになったら、センターの賃金を払わずにそのお金で埋めて、結局それがばれて、経理事故として処理され、何年間も給料から控除され、人事措置は基本で、いろいろな面で不名誉的な扱いを受けることになる。現場にいる私たちには、一言だけ聞いても、その事情がよく分かるが、本社でお金を収める人たちには、現場における実績へのストレスが肌で感じられないようだ。

とにかく、一指門中では、経理事故を厳しく扱った。どれだけ一所懸命に働いても、体調を壊したら、どこにも行くところがなかった。皆それぞれの実績をあげることで精一杯で、ゆっくり休める場所もなく、だいたい実家と連絡を切っている指導者が多いから、実家に帰るのも気まずいし、本当にお気の毒な場合が多かった。元々は、そういう指導者達の面倒を見てあげるのが私の任務だったけれど、自分もいつもチョンファウォン、チョンイルアムの実績や人々を管理して成金を集めること等、自分の目の前の実績に汲々していて、面倒がっていた。そういうふうに生活する指導者達を、お金の部分に対して、信用していらっしゃらないところ、また、そうでいらっしゃりつつも、理想人間一世界をおっしゃるところが、自分に、この組織に対する懐疑を抱かせたのだった。

経理事故で支院長にいて降等されたある師範が、罰として、チョンファウォンに発令された。以前の職業はおそらく教師だったようだ。経理チーム長から、精神状態がおかしいと、話が全く通じないとフィードバックが入った。相談をした。その師範は、

「会員が生涯会員の申請書を書いたら、私は一計表に売入にして本社に報告した。しかし次の日、その会員がお金は持って来ずに入会したくないと言ってくる。また、新しく入会した会員が明日必ず来ますと言うので、それを信じて売入として書いて置いたら、結局来なかった。そういうことが積み重なっていって、何千万ウォンが足りなくなった…」

問題は、それを、本人が過ちだと思っていないという点だった。そこまでする必要はないのに、実績云々しながら、上で言われる通りにしようとしていた、その人の精神力にも、きっと問題があった。とにかく、その指導者は、現在の人事措置が不当だと思っていて、今の状況をつらく感じているようだった。こういう場合は、指導者達の間で多かった。見える場合でも、見えない場合でも。しかし、この場合は、ひどいケースだったので、大して心配はしなかったが、状態が悪化していった。本社から電話があった。その師範に、カード会社から給料の差し押さえが入ったという。本人に確認してみたら、お母さんが商品を購入したけど、本人がやったわけではないから、そうするなと言ったという。お母さんを相手に応訴して置いたとも言った。その師範の状態がどうかと聞いた。ファタジャンに確認してみたら、ひどくなっていた。夜一人で散歩することも多く、正常ではないみたいということだった。私は、指導者を辞めさせるべきだと本社に答えた。

しかし、数日後、その師範は一人でモッケ瀑布(チョンファウォンにある滝)の上の絶壁を登っていた時、足を踏み外して墜落死した。その現場を目撃した人達がいたので、単純事故に処理されたし、問題はなかった。私はソウルに出張中だったし、大した事件でもないかのように、平然と事を処理した。

ススンニムに報告したら、

「チョンファウォンで死んだから、それでも幸せなやつだ」と私を慰められた。

私は宿所で夜もすがら静かに泣いた。私は薦度祭(亡くなった人のために行う巫俗の祭儀。死の不浄を解き、死者の魂を慰め、あの世に導くために行われる)を執り行ってあげることができなかった。それで、他の人に、私の代りに薦度祭を行ってあげることを頼んだ。もう一つは、チョンイルアムの問題だった。チョンイルアムは、我々の組織に膨大な現金収益をもたらす所だった。ススンニムは、チョンイルアムの組織拡大を望まれた。そこで、その下部組織として天地神聖院を置いた。そして、ダンハク地院を360個も開設することを願われた。私は、現時点での地院数の拡大は無理があるので、送金で目標を合わせていただければと申し上げた。そしたら、送金10億を目標にするようにとおっしゃった。そして、統一教で主管する、ある行事に行ってみろとおっしゃった。行ってみて、そのようにしろということだった。私は、自分は行かずに、サジェ達だけ行かせて、報告書を差し上げた。集団で解寃祭を行うところに、数千名の人々が集まるので、一日に数十億の収入になるという。

それは、その他の宗教団体でやっているのと同じで、人の恐怖心を刺激して、お金を設けることに過ぎなかった。

私の考えでは、それは詐欺だった。

ススンニムは、一般の人々の意識のレベルが低いので、そうしてでも、人々に希望を与えた方がよいとおっしゃった。私は、それはできませんと答えた。その方向は、他の宗教のそれと変わらなかったし、私はそれが詐欺だと判断した。それは、悟りとは関係のないものだったし、それの拡大は、目に見えない世界における、もう一つの(固定)観念を作ることに過ぎないと思ったので、私はやりたくなかった。私は、チョンイルアムから逃れたかった。地院長に発令させてくださいとススンニムに申し上げたけど、ススンニムは、お前のように逞しくて推進力のある人はいない、お前がいなくてもチョンイルアムが動くようにして置いて、後任者も育てておいてから、行ってもよいとおっしゃった。このような様々な出来事が、私に分別力を持たせてくれた。それでも、私は、ススンニムは弟子たちに裏切られたから、そうなさることもあるだろう。もし、そのお金が、本当に理想人間一世界のために、ススンニムがいつもおっしゃっていた民族のために、使われるのであれば、それでいいと思って待った。辛抱した。キム・ジハ先生と一緒に一文化運動をする時までは、希望があった。これからは、お金がちゃんとした目的で使われることになるだろう。私が命がけで稼いできた、私たちの兄弟が、能力があってもなくても、うんざりする程に、実績に追われながら設けてきたお金が、やっと民族のために用いられることになったのだと期待した。しかし、今は違う。私は、私たちの組織の拡大=理想人間一世界ではないということを、あまりにもよく知っている。理想人間一世界という目標に行く過程で、その中間結果物を見せてあげることのできないのは、その心がないのだとはっきりと言える。そのお金は、ススンニム一人だけが、理想人間一世界だと考える世界に、私たちが夢みるものとは違うところに使われることはあるかもしれないが、それは、誠の弘益人間・理化世界ではないという判断が立った。

その次には、背信という用語だった。ある男のジョンサを、ススンニムはチョンイルアムの責任者と選定された。電話で指示が下った。私の個人的な判断では、仕事を任せたら、潰れさせる人だった。私は電話で申し上げた。「その人に全部任せて、完全に私の責任からは離れるようにしてください。そのジョンサに完全に仕事を任せてください」それでも、仕事がうまくはかどると思うかとススンニムは聞かれた。
「いいえ、自分の考えでは、仕事はうまく捗らないと思いますが、もし、自分に全ての責任を下さるのでしたら、あの人を行政責任者として使えたくないです」と感情的に申し上げた。その次の日の暁に、他のことでお電話を差し上げたら、「お前に背信の芽がある」とひどく叱られた。たくさんの上級管理者達が電話で心配してくれた。私は、数日後、これからのチョンイルアムがどういくべきかについての12枚の計画書をお送りし、なぜその人が不適格なのかを同封した手紙の中に書いた。その件は、私の望み通りになって一段落した。ボブヨンジャンが、セドナの責任者の職を辞めた後、韓国に帰りたがっていた。ススンニムは、明け方にお電話を下さった。ボブヨンジャンが韓国に帰りたがるのかを聞かれた。私には、ススンニムが、せっかくのいいビザをもったいなく思っているということが分かった。むろん、ボブヨンジャンは英語がとても上手かったので、アメリカに必ず必要な人材でもあった。私は、アメリカ地院長を提案されても辞退しないでしょうと答えた。ススンニムは「韓国に帰るのは私を裏切ることだ」とボブヨンジャンに伝言を頼まれた。私は伝えなかった。

シン・スヒョンジョンサはサヒョンだった。アメリカにいたが、ダンハクの看板を下ろして他の名前の看板を掛けた。それは、完全な背信行為だった。ジン・スヒョンジョンサは、一人でススンニムの前に行き、事実を告げてお詫びした。彼はその罪で首になったので、一年間、会員として他のところでバイトしながらお金を稼ぎ、生活は支院でやってもいいという許諾を得た。しばらく経って韓国に帰って、一人で洞窟に入って食事を取らないで食べることもせずにトレーニングをした。必ず悟りを得ると言って、一所懸命に修練をしたが、亡くなってしまった。噂によれば、21日の断食の後、補食をやり損なったからだそうだ。ソンサムジャンが私に、薦度祭を行いたいけど、どうすればいいかを聞いてきたので、教えてあげた。私にはその気持が理解できた。その方は、ダンハクの最初の頃のメンバーだったし、みんなから尊敬されるサヒョンだった。私には、彼がどれだけつらい思いをしたか、分かるような気がした。自らの命をかけるほど、切実だったあの心情が、私に伝わってくる気がした。

ソクジョンジャンは、組織に慣れるのがひどく大変だったので、許諾を得て独立したが、失敗した。それで、全部持って再びダンハクに戻ろうとした。私たちはその人を受け入れたが、彼は自殺してしまった。うわべは交通事故だったが、私たちは、それが自殺ではないことを知った。そのサヒョンも、ダンハクの最初の頃のメンバーだったし、先頭を走っていた人だった。
ススンニムは、
「組織を裏切るより死んだ方がましだっていつも口にしていたやつだ。あいつは、もともと怖がり屋で、できるかなって思ったけど、勇気が凄い。今セドナに、あいつの霊が来て修練している」とお誉めになって、中央の上級幹部達を集めて薦度祭を行ってあげることを指示なさった。

ダンジェジャンが辞めた。しばらく経って、本人が管理していたサジェ達を集め、アメリカに他の団体をつくった。ススンニムは激怒された。背信行為だと、何度も繰り返しておっしゃった。

私は、ススンニムの意向通りにするかしないかが、裏切りを判別する基準になると分かった。弘益人間・理化世界を広く知らせることよりも、ススンニムを知らせないことが背信行為になるということを知った。勿論、最初は、弘益人間・理化世界が本当に分かるのは、悟った人だけが可能なことで、ススンニムがなさることそのものがその姿であると思って従った。しかし、今は違う。

もう一度言えば、うちの組織の拡大は、むしろ、理想人間一世界への道を妨げることだと思う。ススンニムがなさっている現実的な方法は間違っていると思う。
もし可能であれば、ある程度成長して、修練の方法が分かってきたら、それぞれの創造的な方法で、直接現実とぶつかりつつ、実行しつつ、自分が全ての責任を持つ形で、勉強していくのが望ましいと思う。みんなが力を助け合う形でやっていった方が望ましいだろう。たった一人の言葉が法律になるような体制の中で、背信という用語で限界を持つのは、真に悟りを得た人の取るべき態度ではないと思う。

それから、大きいビジョンは、意識の開かれた人が提示できるようにして、誰でもその問題について議論できるけれども、それに参加するかしないかは、自分で決められるようにした方が望ましいと思う。もちろん、速度は遅いけれども、私は、むしろその方が、各自が明るく成長していく姿ではないかと思う。うちの団体は、とにかく強く明るいものを求める傾向がある。しかし、私は、明るいものが集まって強くなるのであって、強いものが明るくなることはないと思う。集団意識があるので、どこに行くか分からない。うわべで、どんな名前を掲げているとしても。

というわけで、私が批判的な目で見ているのが暴力である。ススンニムは、いつも強いものを望まれた。ススンニムは、いつも、うちの団体は、これからは、力のない団体ではなく、恐ろしい団体にならなければならないとされた。ある日、私にこうおっしゃった。

「3地域に行ったら、師範3人が私にお辞儀をして、そのうちの一人が何か質問をした。それからみんな出かけて、路頭だったのだけど、さっき質問したやつが、いきなり道端でうつぶせになって、申し訳ございません!お許しください!と言うの。あとで、ヨンジジャンに聞いたら、そいつがサヒョンで、他の二人はサジェなのだけど、ススンニムに対してつまらない質問をしたということで、小さい部屋でぶん殴ったらしいの。あそこはまるで共産党みたい。ヨンジジャンが組織をうまく管理している」

ススンニムの指示で、ヨンジジャンの管理方法を見習うため、チョンヘジャンは一所懸命努力した。ある日、ヨンジジャンは、会員達を連れてセドナ瞑想旅行に行った。ある女性の会員が中身のないたわむれの言葉を言ったら、ヨンジジャンは、ある女師範に思い知らせてやれと指示したそうだ。その師範がその会員に悪口を言いながら殴っているところに、警察が来た。その師範は、英語ができなかったのでただ笑っていたら、その警察は何のこともないのだと思って帰っていった。夜、ススンニムがその師範を呼んでファルゴンをしてくださった。その指導者は、ファルゴンをやってもらうのが初めてで、うっとりとしていたという。

韓国に帰って、その会員はヨンジジャンを訪ねて謝ったそうだ。ヨンジジャンは勉強をさせるのに必要ならば、そうしてもいいと思ったらしく、3地域の全指導者会議で、このことをみんなに誇らしく話していたそうだ。同時、3地域では、小さい暴力事件が絶えなかった。3地域で起こったある事件を問題となって、デウォンジャンが人事措置を取った後は、師範達の間で発生する暴力事件は、表ではおさまったみたいだった。しかし、それは根本的な解決策にはならなかった。私には、暴力がなぜ起こるのか、その原因が分かった。組織では、専ら、実績だけで人を追い詰めていたが、師範達は、そういうストレスを解消する時間も空間も全く与えられていなかったのだ。実績さえ良ければ、暴力を黙認する、むしろ実績を良くするために力が必要だと思う雰囲気が現場にあった。ユ・ハジン室長から電話があった。ユ室長の直属上官のウアムダンサが、飲み会で、言うことを聞かないといって顔に唾を吐き、くそったれだと悪口を言ったという。これからどうしたらいいかを聞いてきた。ススンニムが、あとでユ室長を呼んでなだめて、上司をヨンジジャンに変えた。そして、ウアムダンサを空港で会おうとされたが、ウアムダンサは行かなかったし、事件は一段落した。チョンファウォンでも事件があった。私は、ダアムジャンに実績面でのプレッシャーをかけていた。総務チーム長だった師範も、肉体的に疲れていたせいで、ダアムジャンの言うことをあまり聞かなかった。
やがて、殴打事件が起こり、ダアムジャンはもう居られないと辞職願を出した。私は、自分に原因があるということが分かった。ダアムジャンを引き止め、問題の師範は他のところに発令させることで、事件は一段落した。

チュンアムジャンの暴力事件も有名だった。チュンアムジャンは、ススンニムの弟だった。

彼は、天地人商事を運営していた頃、沢山の師範達を殴った。その件はずっともみ消されていたのだが、チェジョンサが殴られたことをススンニムに報告したので、事が大きくなった。チュンアムジャンは、そのことで天地人商事の経営から手を放されることになり、一世界建設の経営だけ担当することになった。チェジョンサも師範に降等され、アメリカに行くことになった。

このような一連の事件で、うちでは、暴力そのものは十分あり得るもので、必要なら使ってもいいという認識が生じた。

ある日、ススンニムはこうおっしゃった。
「私の警護も要るし、独立する人たちにも、脅かして置く必要がある。今後は、力の弱い団体でいてはダメで、恐ろしい団体にならねばならない。ハン・チョルオンが、以前、全国暴力団の総務だったらしいから、そっちと連携して、お前が管理しろ。毎月1000万ウォン程度で運営してみて」

私は、デウォンジャンに相談した。デウォンジャンは、我々は陰謀団体でもないし、そうしない方がいいと言った。私は、ススンニムにできないと報告し、他の方法を申し上げた。

キム・ジハ先生の件があって、その解決のため、ススンニムが韓国にいらっしゃる頃、
「カトリックの神父が、ある宗教団体をマスコミで非難したら、その団体の信者が、その神父に汚物を浴びせたそうだ。キム・ジハも死ぬかもしれない」
とおっしゃった。ススンニムは、ご自身が志していらっしゃる仕事をするために、必要なら暴力を使用してもよいと思っていらっしゃるようだった。私自身は、この部分に対して批判している。暴力は、どんな場合でも正当化されてはいけないと思う。そのうえ、一つの団体の利益のためになされる暴力は、なおさらのこと、道を論ずる団体では、あってはならないと思う。

最後に、私が指導者を辞めたいと思うことになった、決定的なことについて整理しておきたいと思います。デウォンジャン、キム・ジハ先生と、その他の出来事について話します。

政策チームが作られてから、間もない頃だった。政策チームは、私に、別に会いましょうと言った。うちの組織は、色々な面で改善されなければならないということだった。力を貸して下さいと言った。私は共感したので、デウォンジャンさんを信頼しているから、彼を通して要請すれば、何でも手伝いますと言った。

そして、キム・ジハ先生が、民市聯(韓国民族魂市民聯合、Encouraging-The-Spiritual-Essence-of Korea Civil Movement)を引き継ぐことになってから、ススンニムは、キム先生を支援するようにとご指示なさった。デウォンジャンが、キム・ジハ先生のなさる、お仕事の方向性における幾つかの点について心配された。私もススンニムのお仕事のスタイルをよく知っていたし、キム先生とススンニムとの関係がどれほど長く続くか心配になった。内部を統合しなければ、直ぐ問題が生じるだろうと思った。

最初は、ススンニムがリーダに全てを任せるかんじだったが、その人との間で問題があったので、私はデウォンジャンとキム・ジハ先生のお二人で、相談して運営した方がいいと思った。私は、キム・ジハ先生のお仕事の方向について、心配になる点をいくつかススンニムに報告し、デウォンジャンを引きずり込もうとした。

しかし、ススンニムは、キム・ジハ先生だけを信頼するとおっしゃった。しばらく経って、キム・ジハ先生は、ススンニムが、あまり細かいことまで指示されるから、このまま行けば事が大きくなってしまうし、あまり細かくなると事がダメになる。ソンファダンサ(筆者)が、中間で事がうまく行くように調整してくれと頼まれた。

私は、三者会議を提案した。

私は、デウォンジャンからのアドバイスを得てススンニムに直言し、大体のことはデウォンジャンのレベルで終わりにしたいと思った。しかし、結局、秘密裡に事を運ぼうということになった。その理由は、ススンニムが、デウォンジャンとキム・ジハ先生が二人で会うのをあまり喜ばなかったし、また、報告する場合、毎回詳細に報告しないといけないので、それにかなりの時間がかかるし、ススンニムが別に指示なさることを、また三者会議で成就させるために頭を悩まさなければならないことをしたくなかった。
私はBCC(ススンニムの直属部署。韓国で行われる事を報告し、直接ススンニムの指示を受けて、当事者達に伝達する仕事を担当)チーム長の、オム・ハジョンジョンサに、内緒でこのような会があることを知って置いてと言った。何度か会議を開いたが、重要な案が決定した事項はなかった。互いの情報交流だったし、事はうまく運ばれた。

ススンニムが、電話で、デウォンジャンとキム・ジハ先生に、ハンムンリョン声明書(これは、新聞に発表された、国家的な声明書だった)に対する意見を披歴された。お二人は、共に強く拒絶された。お二人は、ススンニムが、彼らを信じて事を任せた方がよいとお考えのようだった。私はススンニムからのお電話をもらった。

「お前と話していると胸が苦しい。キム・ジハ先生とデウォンジャン、みんな私に対する否定的な情報を持っているようだ。お前がキム・ジハとデウォンジャンを良心的に評価して報告しろ」
とご指示なさった。私はおおよそ見当がついた。先ず、オム・ハジョンジョンサとシン・ミジョンジョンサに私についての報告をどうしたのか確認した。結局、ハンムンリョン声明書を出すことにした。しかし、内容上、ススンニムとキム・ジハ先生の意見が違っていて、ススンニムのご意向通りに新聞に出た。その事の結果が良くなかった。

キム・ジハ先生は、ススンニムの仕事をするスタイルが変わらなければならないとした。先生ご自身が、どんな屈辱にも耐えながら事を成功させて、ススンニムのスタイルも変えさせるとした。私は同意したので、これまでの組織内における問題点を(上に書いてある内容)60%位、話してあげた。

しかし、結果は反対だった。キム・ジハ先生はひどく怒って、むしろ、懐疑的になられた。私はまごついた。その間に、イヒョンテ顧問が韓国にいらっしゃった。

イヒョンテ顧問は、

「命をかける指導者が100名さえ居ればいい。血を見なければならない。キリスト教の牧師に銃の照準を合わせて、脅迫をするべきだ。刑務所に行く覚悟をした指導者が必要だ」
とおっしゃった。私はキム・ジハ先生に相談した。先生はいっそう立腹された。

「あの人はテロの意味も分からないくせにのさばる。あの人には会う必要もない」

デウォンジャンにも相談した。デウォンジャンがいる限り、そういうことはないとされた。私たちは三者会議をした。キム・ジハ先生は、感情的な声で、ススンニムにおっしゃりたいことをテープに録音された。私は、北京ホテルでススンニムと単独で面談することになっていた。キム・ジハ先生は、そのテープをススンニムに渡してくれることを希望された。私はデウォンジャンと相談して、彼も、原本を編集せずにそのまま伝達した方が良いということだったので、そのままお渡しした。

「このまま行けばダンハク禅院は三年内に潰れる。あなたは道人ではない。これからは、あなたとの師匠と弟子としての関係は終わりだ。私のアドバイスを聞け」

ススンニムはキム・ジハ先生のこの言葉に対して腹を立てられた。

「この三つについて謝ったら、これからキム・ジハ先生のミンシリョンの仕事には関与しないし、サポートしてあげる。しかし、謝って貰わなかったら、関係を整理する」

私は韓国に帰り、二日間、誰とも連絡を取らずに休んだ。そして、デウォンジャンと相談した。デウォンジャンは、お二人が直接顔を合わせるようにして、その間に誰も入らずに、事を相談なさるようにした方がよいとした。お二人に嘘をついて、二人だけの話の場を作ってみようとしたが、お二人はお互いのことをよくご存じで、お二人とも、会いたがらなかった。お二人とも、二人の関係を整理することを願われた。

ススンニムは、私がこの事態の責任を持つべきだとおっしゃった。私は、専ら支院長になって、アリジャンと一緒に住みたいという気持だけだった。ススンニムのご意向通りに謝罪文を書いて、自分の望み通り、師範に降等して支院に行ってもよいという許諾を得た。ススンニムは、全指導者会議の時、

「彼女は自慢する心から神様になろうとし、蛇の誘惑に惑わされて禁断の果実を食べた。内部の敵が最も危ないものだ」
そして、私の書いた謝罪文を大きいスクリーンに投影させた。数日後、ススンニムはチョンイルアムに訪問して、
「デウォンジャンとキム・ジハを保護するという名目の下に、お前の心に私がいなくなった。お前には、私より大事な人がいてはいけない。日本に行け。ビザは用意してあげるから、行ってキム・ジハの助けなしに成功して戻って来い。お前の頭の中にある虫をとれ。これ以上私に迷惑をかけたら、お前は死ぬ」
とおっしゃった。私は15日間の休みをもらって、その間に宋○○さんに会った。彼女に全てを話した。イヒョンテさんが、ススンニムからの伝言があるというので会った。その方は、ある男子のジョンサが、ソンファジャンは淫乱な女だと悪口を言っていたので、ソンファジャンが淫乱な行為をしているのを見たわけでもないのに、なんでそういう悪口をたたくのかと叱られたという。私は、人々がススンニムと私の関係を疑うのは納得がいくけど、キム・ジハ先生との関係を疑うのは理解できないとした。
彼の話を聞いて、ひどく落胆した私は、指導者を辞めたいと言った。

「他の指導者達が、電話に出る私の声からは、反省している気配が全然見えなかったとススンニムに報告したみたい…ススンニムは謹身しなさいとのことだった」
と、イヒョンテ顧問が伝えてくれた。自分は何の過ちも犯していないし、ただ指導者を辞めたい気持だった。数日以内に決めますと言った。
たくさんの指導者達から電話があった。私は、ススンニムのおっしゃることは全て正しいので、その命令に従ってくださいと答えた。
私に悪口を言う指導者達には、サヒョンとして良い先例を作ることができなくてごめんね、と言った。その日の夕方、私は、自分の担当だった会員が、私のために用意してくれた場所に行った。二日目の夜、ススンニムから電話がかかってきた。

「つまらないこと言っていないで、日本に一日でも早く行け。ビザ作るのも大変だし、康○○社長とは話にならん。ビザなしで行って開拓しろ。地方のセンターにいないで、開拓して、韓国に戻ってくるな…」

私は疲れた。私には、これ以上、何もできなかった。その夜、その会員が私にキスしようとした。隣の部屋で、補佐師範が寝ていた。私は拒絶して、その理由を聞いた。ダンハクの指導者は、フリーセックスをするのだと思ったという。私は違うとした。補佐師範の隣で横になり、一晩中、泣き続けた。もうこれ以上は、一瞬も指導者として居たくなかった。私の魂が望んでいなかった。私は、指導者を辞めることを決めた。携帯が鳴ったが、もう誰でも構わなかった。携帯を持ったまま、わあわあと泣き続けた。その電話は、キム・ジハ先生の奥さんのドソンジャンだった。私は、イルサンに行って、指導者を辞めると申し上げた。デウォンジャンにも、辞めると電話でご挨拶した。これからは、道や霊、悟り、などといったものは、見もしないと言って、旅行に行った。旅行から帰って、ウォンダンに部屋を借りた。そこで長らく地院長をやっていたし、ソウルで部屋を借りられる程、経済的な余裕がなかった。キム・ジハ先生と宋○○さん、デウォンジャンにだけ、挨拶した。デウォンジャンには、単純労働でもいいので、仕事を紹介してくださいと頼んだ。キム・ジハ先生からは、朴○○先生の事務所に、私の席を設けてあげるから、そこで、ミンシリョン関係の仕事でもやってみたらって言われた。私は承諾した。

以上が、これまであった全てです。私を愛してくださり、私が愛していた沢山の方たちに、本当に申し訳ございません。私はもう、この事をどう解決すればいいか、自分はどうしたらいいか、全く分かりません。率直に申し上げれば、私は今、これまでとは全く違うルールが適用する世の中に、一人で立っている気分です。

誰でも、理想人間一世界の夢を知っています。私を含め、数多い人々が、理想を現実にする過程の中で、沢山の試行錯誤を経験しています。その試行錯誤の最も大きい原因は、個人の欲望が、本来の理想よりも大事になってしまうからです。私はこれまで、こういうことの起こった原因が、自分の欲望のせいではないかと人々から誤解されるのが怖くて、ずっと悩んでいました。それは、ただ、自分のエゴだったということが分かりました。

もう、誰から、どんな誤解を受けても構いません。私はただ、以前の私のように、純粋な心から彼らの青春を捧げ、この民族を救いたいという一念から、命をかけて飛び込んだ、私たちの兄弟が心配なだけです。そして、これまで述べてきたような事実を、全く知らないサジェや会員達が80%以上であるということも知っています。あるいは、同じ事実に対しても、私とは全く異なる見解を持っている指導者も多いと思います。それゆえに、この手紙が他の目的に利用されるかもしれません。しかし、何もしないで、これらの全ての事態に対して沈黙を守るだけで過ごしてしまったら、良心の呵責のため、一生の傷として残るかもしれません。私は、そういうふうに生きることはできません。もし、この行動が間違っているのなら、そのことから学べることもあると思います。この問題の解決策について、私と一緒に悩んでくださる方は、連絡をくださいませんか。私の連絡先は、○○○-○○○-○○○○です。信じてもらえないかもしれませんが、私は心からダンハクを愛しました。今でも愛しているし、ダンハクで出会った、全ての大切な方々を、心から尊敬しています。私が、知らないうちに犯してしまった数多い罪を、許してくださるよう、お願い致します。

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